はじめに

南野陽子は今年2011年に芸能活動25周年を迎える女優・タレントです。
南野陽子、電撃挙式!のニュースに驚いたり感慨を覚えたりしているお父さんも多いのではないでしょうか。
南野陽子といえば、一斉を風靡したアイドルから本格女優に転身し、バラエティでも気取らないキャラクターでレギュラーを勤めることができる「ザ・芸能人」。
南野陽子を知らないという方に、彼女の経歴をざっと紹介しましょう、。
アイドル時代
南野陽子は1985年にデビューし、一躍トップアイドルになりました。
テレビドラマ「スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説」でブレイク
単発テレビドラマ「時をかける少女」に主演した後、今でも代表作と言われている「スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説」でブレイクしたのです。
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丈の長いスカート(当時はそれが流行でした)のセーラー服に三つ折の白い靴下、桜田門を仕込んであるヨーヨーをあやつって敵をバッタバッタと倒す女子高生。
土佐弁で「おまんら、ゆるさんぜよ!」と言えば、30代半ば以上の人なら、たいてい「スケバン刑事の南野陽子の決め台詞だ」とわかってもらえるのではないでしょうか。
当時夢中になってみていた人の中には、未だにこの決め台詞の全文を言える人も少なくないでしょう。
「鉄仮面に顔を奪われ十と七とせ、生まれの証しさえ立たんこの あてぇ~が何の因果かマッポの手先。二代目スケバン刑事、麻宮サキ。 おまんらみたいに、〇〇〇するやつぁ、絶対 に許さんぜよ!」
・・・・という、時代劇のヒーローのような口上を述べた後ヨーヨーで悪者をやっつける、というストーリーが男女を問わず、広い世代の心をつかみました。
内容は、さる事情から、鉄仮面をかぶったまま小・中・高校に通って、やがて警察の特命刑事になり、セーラー服を着てヨーヨー(桜田門の印が仕込まれていて、水戸黄門の紋所のような役割もしています)を武器に悪と戦うという荒唐無稽な話でした。
当時はインターネットがまだ普及していませんでしたが、この荒唐無稽さについても雑誌などで視聴者から様々な突込みがあり、盛り上がっていました。
南野陽子自身は「演じる自分が『そんな馬鹿な』と思ってしまってはおしまいなので、かなしい気持ちで演じるように心がけていました」と後のインタビューで語っています。
この言葉からもわかるように、プロ根性とまじめさを兼ね備えた彼女は、長くトップアイドルの座を守り続けます。
筆者の妹(当時小学生)も大ファンで、部屋に足を踏み入れると壁から天井から、南野陽子の顔が目に入らない場所がないほどでした。こういう部屋は日本中に珍しくなかったと思われます。
というのも、JR西日本のイメージキャラクターを勤めていた88年から3年ほど、彼女のポスターが貼られるたびに盗難されていたという伝説が残っているのです。
業を煮やしたJRが「500名にポスタープレゼント」という告知を出したところ、約20,000枚もの応募はがきが送られてきたというので、信憑性がありますね。
歌手活動も
アイドルの定石、歌手活動もしていました。シングル8曲連続オリコン1位を記録しています。多くは主演ドラマの主題歌やCMのタイアップ曲となりました。
「はいからさんが通る」「吐息でネット」など、今でもカラオケで歌える方が多いと思います。
ただし、本人が歌が得意だったかと言うとそうでもないようなエピソードがいくつか残っています。
88年は南野陽子のテレビ露出が最も多かった年ではないかと思いますが、歌番組で歌っている最中に歌詞を忘れ、曲の終了後に涙ながらに謝ったのもこの年です。
その後も、曲が終了した後、マイクには入らなかったもののアップになった口の動きで「おわった~」とつぶやいているのがばっちりテレビに映ってしまい、司会者がフォローに苦労していたりしました。
女優へ転身すると共に歌手活動は休止していましたが、芸能活動25周年ということで、再び「ReFined-Songs Collection~NANNO 25th Anniversary」というCDが発売されたようです。
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間違うのではないかとはらはらさせる歌い方は健在なようで、逆に安心感と好感を覚えます。
本格女優へ
毎日のハードスケジュールのために体調を崩しても、事務所とトラブっても、持ち前のプロ根性で笑顔を見せ続けていた「アイドル・南野陽子」の人気も、度重なる週刊誌によるバッシングのせいか下降線をたどります。
デビュー当時から属していた事務所をやめ、自分でスケジュールを管理するようになって、テレビに干されたこともあり、舞台や映画に活動場所をシフトしていきます。
女優時代
脱アイドル、本格女優へ
アイドルの頃から「スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説」「アリエスの乙女たち」「熱っぽいの!」「追いかけたいの!」など、数々のテレビドラマで主演をしていたほか、「武田信玄」「忠臣蔵」といった時代劇にも出演していました。
しかし、本格女優と呼ばれるのはその後の話です。
脱げば本格女優というのもおかしな話ですが、映画に活動をシフトして、「寒椿」「私を抱いて、そしてキスして」でヌードを披露し、演技を認められて1993年日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞しました。
「私を抱いて、そしてキスして」は当時流行し始めた新種の病気だったエイズを取り上げた映画として話題になりました。
エイズという病気と、かかった人への差別・偏見を助長しかねない描写で、「当時、エイズはこういうイメージだった」ということを後世に残す意味では意義のある映画だったかもしれません。
その中にあって、やはり南野陽子の美しさは際立っていました。それは、容姿だけではなく、立ち居振る舞いにも及んでいました。
たとえば泣きながら走り去る、その走り方の美しさなどが(石畳の溝にハイヒールを引っ掛けずに美しく走ることは、女優なら誰でも出来るというものでもないですよね)筆者の周りで話題になったものです。
その後、1995年の「ゆずり葉の井戸」を初めに、舞台へ活動の場を移して生きます。
しばらくテレビでは姿を見ない時が続きましたが、2002年TBSの昼ドラ「一攫千金夢家族」で復帰します。このドラマは好評で続編も作られました。
それ以来、ちょこちょことドラマへ単発で出演していますが、差し色のように鮮やかな存在感があり、ついつい見入ってしまいます。
特に2009年の「メイド刑事」へのゲスト出演は印象的でした。「メイド刑事」自体が「スケバン刑事」へのオマージュのようなドラマなのですが、ここに南野陽子が出演するということで、話題になりました。
ドラマ中で、しっとりと着物を着こなした南野陽子の口から、かつての名台詞が使われ、筆者の夫を初め多くの男性を喜ばせました。
女優以外の露出
2007年から2年半、フジテレビの昼番組「笑っていいとも!」に2年半の間レギュラーで出演していました。
にしおかすみこや鳥居みゆきといった女芸人の物まねを披露することもありました。突き抜けっぷりがお茶の間の話題をさらいました。
終わりに
20代前半で結婚したいと公言するほど結婚願望が強かったのに、真面目な性格が災いしたのか(筆者の推測です)、ずっと独身を貫いていた彼女に40代になって訪れた幸せを、1ファンとして心からお祝いしたいと思います。
結婚しても仕事は続けるそうなので、これからの活躍がますます楽しみですね。
photo by 足成
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