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戦国大名のステータスシンボル!大規模なお城まとめ

下克上の時代を生きた戦国大名にとって、自身の居城の壮大さは、そのまま武将としての価値に直結すると考えたやもしれません。

そこで今回は、戦国時代を生きた武将の威光が十分に現れた、日本全国の大規模なお城をまとめてみました。

熊本城(熊本県)

概要

熊本城は熊本県熊本市にあった城です。城主であった加藤清正が築城の際に植えた大銀杏に由来し、「銀杏城(ぎんなんじょう)」とも呼ばれます。

城郭の総面積は約98ha(ヘクタール)、広大な敷地内には大小天守閣に多くの城門や櫓、そして清正流石垣と呼ばれる美しい石垣を抱えており、日本三名城の1つにも数えられます。

歴史

安土桃山時代の末期から江戸時代初期にかけて、中世に築かれた千葉城と隈本城を取り込む形で、加藤清正が現在のような熊本城を築きました。しかし、その子・忠広が更迭に近い形で城主の任を外されることになり、豊前小倉城の城主だった細川忠利が入ることになりました。

維新後は、陸軍の施設として活用され、陸軍学校や士官学校が入ることになり、西南戦争の際には政府軍の重要拠点にもなりました。

姫路城(兵庫県)

概要

姫路城は兵庫県姫路市にあった城です。大天守と3つの小天守が渡り櫓で組み合わされた連立式天守閣をはじめとする独特の建築構造、そして別名の「白鷺城」の由来でもある白漆喰による城壁の美しさから、「日本一の名城」との呼び声も高いです。

また、築城後約400年に渡って一度も戦に使われず、ほとんど建築当時のままの状態で残っているため、文化財としても非常に貴重で、世界遺産にも登録されています。

歴史

1346年に赤松貞範によって築かれた小規模の城が、姫路城の始まりだとされています。その後、戦国時代に城主を勤めた黒田氏によって本格的な城郭へと改修され始め、関ヶ原の戦いの後に城主になった池田輝政による拡張によって、現在の大規模な城郭となったそうです。

羽柴秀吉が居城し、その後の出世の拠点となった城でもあり、「出世城」とも呼ばれます。

大阪城(大阪府)

概要

大阪城は大阪府大阪市にあった城です。姫路城、熊本城とともに、日本三名城の1つに数えられています。

「太閤さんのお城」との通称があり、豊臣秀吉のイメージが強い城ですが、現存しているのは徳川氏が大阪城を再建した際のものだそうです。しかし、昭和に行われた地質調査の際に、地下に眠っていた豊臣時代の大阪城の石垣だと思われるものが発見されています。

歴史

1583年、焼失した石山本願寺の跡地に豊臣秀吉が築城しました。豊臣氏の居城および豊臣政権の本拠地となりましたが、大阪夏の陣で豊臣氏の滅亡とともに焼失してしまいます。その後、天下を統一した徳川家の手によって、豊臣時代の大阪城の跡を埋め立てた上に新たな大阪城が建設され、江戸幕府の近畿地方、および西日本支配の拠点となりました。

江戸城(東京都/現・皇居)

概要

江戸城は東京都千代田区にあった城です。「江城(こうじょう)」や「千代田城」といった呼び名でも親しまれ、当時は総構周囲約4里(約15.7km)と、城郭の中では日本最大の面積を誇りました。

1657年の「明暦の大火」で天守を含めた城構の多くを焼失した後、関東大震災や第二次大戦中の空襲などの被害を受け、現在はお堀やいくつかの門、本丸跡や二の丸跡などが「皇居東御苑」として一般に開放されています。

歴史

1457年に太田道灌(どうかん)によって築城されました。その後、上杉氏、北条氏の支配下に入った後、1590年に豊臣秀吉の小田原攻めで開城され、同年、駿河から転居した徳川家康の居城となりました。

その後、徳川家による管理のもと、200年以上に渡り江戸幕府の中枢として活躍することになります。しかし、1868年、明治維新に伴い城は新政府軍に明け渡され、「東京城」「皇城」「宮城」と改称を繰り返した後、終戦後に「皇居」に改称され、現在は天皇の住居として利用されています。

二条城(京都府)

概要

二条城は京都府京都市にあった城です。平安京の大内裏であった場所とその南にあった天皇の庭園にかかる場所に存在します。

現存する城郭は国宝にもなっている二の丸御殿と重要文化財の本丸からなり、二の丸御殿の廊下は歩くと音のなるうぐいす張りになっています。また、周辺には二の丸庭園、本丸庭園、清流園という3つの美しい庭園もあります。

歴史

1603年、徳川家康が京の宿館として建設されました。豊臣家から徳川家へと政権が移行される舞台になり、「江戸時代の始まり」を告げた場所であると同時に、1867年に徳川慶喜が大政奉還を行い、「江戸時代の終わり」を告げた場所でもあります。

名古屋城(愛知県)

概要

名古屋城は愛知県名古屋市にあった城です。名古屋大地の西北端に位置し、濃尾平野の北を一望できる軍事的な要地に建設されました。日本三名城の1つに数えられ、徳川家の威光を表すために大天守に飾られた金の鯱は、名古屋城だけでなく、名古屋の街のシンボルにもなっています。

歴史

織田信長が生まれた城とされる「那古屋城(なごやじょう)」の跡周辺に、1609年に徳川家康が築城しました。その後、徳川御三家の1つである尾張徳川家の居城として、17代に渡り利用されました。

おわりに

すでに天守を失っているお城もありますが、もし天守があるお城を訪れた際には、是非そこからの眺めを楽しみましょう。広大な領土を手にした当時の武将の気持ちが味わえるかもしれません。

(image by amanaimages)

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