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明智光秀「もうマヂ無理…焼き討ちしょ…」1分でわかる本能寺の変

1582年、戦国のカリスマ織田信長が家臣の明智光秀に裏切られ、京都・本能寺で死に追いやられた事件「本能寺の変」。日本史上でもセンセーショナルな事件ですが、そもそもなぜそんなことになってしまったのか、よく覚えていないという方も多いのではないでしょうか?今回は、そんな「本能寺の変」を1分でわかるサイズにまとめてご紹介します!そこには、現代にも依然残り続ける、「中間管理職の悲劇」とでも言わざるを得ない悲痛な事情がありました……。

誰もが小学生のころ習う日本史上の大事件、「本能寺の変」。1582年、当時日本のほぼ頂点に君臨していたカリスマ武将・織田信長が、天下統一目前にして家臣の明智光秀に謀反を起こされ、京都の本能寺で死んでしまった、という事件です。

『忠臣蔵』など、主君と家臣の忠義や敵討ちなどのテーマの話が大好きな日本人だけに、信頼していた家臣が主君を裏切り、死に追いやったという「本能寺の変」は良くも悪くも有名な話として現在まで残ってきました。

そんな「本能寺の変」、よく耳にはするものの、実はどんな話か忘れてしまった、なんて人も多いのではないでしょうか?習ったのなんて小学生のころという人が大半のはず。

そこで今回は、そんな「本能寺の変」の一部始終を1分サイズでまとめました。ご覧ください!

1分でわかる本能寺の変

1:対照的なふたり

粗暴でおおざっぱな性格をしていた信長。そんな信長は、大人しいが賢くて頭の切れる明智光秀を信頼していました。おかげで光秀は一番と言っていいほどの重臣になりました。

2:お館様はツンデレ!

が、信長は大ツンデレ。光秀を心の内では信頼していた反面、とにかく皆の前で光秀をイジメまくりました。そのイジメの例がこちら。

  • 会議中に意見を言った光秀にブチ切れ、皆の前でボコボコに殴る蹴るの暴行
  • 「俺の酒が飲めねぇのか!」と刀を突きつける、典型的な嫌な上司パワハラ
  • 『光秀』って字合わせたら『禿』じゃね?ハゲ!!ハゲ!!!」と小学生みたいなイジりをする
  • 当時信長の家臣だった家康がある戦で功をあげた。そして光秀が「家康おつかれ会」の幹事を命ぜられ、超がんばってすごい料理やすごいもてなしをしようとしたのに、途中で「この料理の魚臭ってね?」と信長に因縁を付けられ、さらにそのまま何故か戦に行かされる

3:もうマヂ無理

そんなイジメに長年耐えてきた光秀は、急に向かわされることになった戦に兵を連れて赴く道中、ふと「今日信長のやつ本能寺で茶会とか言ってたな……今日なら警備も蘭丸(小姓)とかしかいないな……」と悪い考えが浮かびました。そしてついに、急に馬を止め叫んだのです!「敵は本能寺にあり!」

4:焼き討ちしょ……

そして明智光秀は勢いのまま1万2000もの軍勢を引き連れ、夜の本能寺へ向かい、まるごと本能寺を焼き討ちにします。ぐっすり寝ていた信長は飛び起きたものの、時すでに遅し、完全に詰んでしまいます。なすすべもなく「光秀、信じてたのに……」としょんぼりしつつ、寺の中で自害しました。

「本能寺の変」の裏事情についてはまだまだ謎が多いです。ほかにも、徳川家康と明智光秀の共謀説や明智光秀は天下狙ってた説など、諸説あります!

パワハラが起こす悲劇

いかがでしたか?なんだか正直、明智光秀には、嫌な上司にいじめられながら、一生懸命に管理職の仕事をがんばる……なんていう、現代のサラリーマンのような気苦労が見えて同情してしまいますよね。いつの時代も、パワハラは人の心を蝕むのです……。

しかも、信長は、光秀がいない裏では家臣たちに「みんな光秀みたいに優秀になれよ」と言っていた、という話もあるようで、それが本当ならかなり切ない結末ですよね。

戦国一のカリスマだった織田信長の致命傷が「ツンデレ」のせいだったなんて、ちょっと意外ですが、素直に部下をほめ、育てられる人徳がカリスマには必要なのかもしれませんね。

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(image by amanaimages)

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