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    仏像ブーム到来!大仏から興味を持って日本史を楽しく学ぶ方法

    日本史の出来事を裏付けるためには史跡が大きな役割を果たしています。歴史を研究する人々は、数多くの史書や史跡から歴史を紐解き、その時代へと思いを馳せるのです。

    皆さんは史跡を見学する時にどんな事を考えますか。とくに興味もなく見ていませんか?史跡はそれが作られた背景を知るともっと楽しく見る事ができるのですよ。

    ここでは、有名な奈良・東大寺の大仏から日本史の背景を考えていきましょう。

    東大寺の大仏は誰がなぜ作ったのか

    東大寺の大仏は、天平15年(743年)に聖武天皇が発案し、天平勝宝4年(752年)に開眼されました。その時、在位していたのは聖武天皇の娘である孝謙天皇です。

    血みどろの勢力争い

    この時代の少し前、天皇家の血筋は蘇我氏の子孫が握っていました。「大化の改新」で権力を握った蘇我氏です。

    しかし、天武天皇没後、蘇我氏が上手く後継を育てることが出来ずに女帝が次々と中継ぎ的即位をしている間に、藤原氏の勢力が強まってきました。

    聖武天皇は、大化の改新の功労者である藤原鎌足(中臣鎌足)の息子、藤原不比等の娘婿でした。こうして聖武天皇の治世には藤原氏が権力を誇る時代になっていたのです。

    不比等の四人の息子(藤原四兄弟)は藤原氏の血筋を皇位に即けるため、反対勢力の蘇我氏の血を消していきました。

    呪いの噂

    天武天皇の孫に当たる長屋王(ながやのおおきみ)を謀反の疑いを掛けて一家全滅にした後、しばらくして藤原四兄弟は急に次々と亡くなります。

    当時は天然痘が大流行していて、兄弟は皆これに罹って亡くなったわけですが巷では「長屋王の呪い」の噂が飛び交い始めます。

    自分を支えてくれていた身内の柱を四本も突然失った聖武天皇の皇后・光明皇后の不安はどんなに大きかった事でしょう。

    大仏は聖武天皇の「仏に帰依して国を良くしたい」という心から造られた物です。しかし、裏ではこんな事情もあったのです。東大寺の大仏は藤原氏に掛けられた蘇我氏の呪いを解く目的も大きかったと言われています。

    国のみんなの願い

    国の上が勢力争いで揺れている間、民はどうしていたかというと、飢饉や病に苦しんでいました。その上、大仏建造のために大掛かりな人数が狩出され、人々は不満が溜まり乱まで起きています。

    しかし、建造は進められました。大仏が出来れば国が全て良くなる、と聖武天皇だけではなく、皆が信じていたのです。

    そして、ついに天平勝宝4年4月9日(752年5月26日)、大仏の開眼供養が行われたのです。この時、参列者は一万数千人いたと言われています。

    おわりに

    いかがでしょうか。あの大きな東大寺の大仏建立の背景には、様々な歴史があったのです。そう考えると明日から違って見えてきませんか?

    史跡が造られた意味、造られた背景を見ていくだけでも歴史は楽しいものになります。

    日本史には、どんな時代にも血みどろの歴史が繰り広げられてます。皆さんも旅行などに行かれる際には、少し調べてからお出かけになると、きっと、ちょっと日本史通になれた気がしますよ。
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