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スッキリさせたい江戸時代の政策!学習のポイント

江戸幕府のしくみ

上・徳川家康

学ぶ内容

1603年に開かれた江戸幕府は大変にお金持ちで、幕府の領地(天領)は全国の4分の1を超えました。

将軍を支えたのは老中です。
全国の大名にも種類がありました。大名の反発を防ぐためです。

親藩・・・徳川家の一族で、重要な場所に置かれました。

譜代大名・・・三河(愛知)以来の家臣で、こちらも重要地に置かれました。

外様大名・・・関ヶ原の戦いの後家臣になったので、九州や東北に置きました。

また、大名を取り締まるために徳川家康は武家諸法度を出しました。大名行列をして1年ごとに江戸に住む参勤交代の制度が定められたものです。

禁中並公家諸法度は天皇や公家の行動を統制するものです

武士が支配するために、士農工商という身分制度が定められました。

農民の統制には、共同で責任を負わせる五人組が作られました。

おさえるべきポイント

史料での出題があります。

一 大名小名の江戸出仕を交代で定める。毎年四月中に参勤すること。

これは、参勤交代について武家諸法度に加えられたものです。
家康が定めた武家諸法度に3代家光が加えました。

鎖国

学ぶ内容

江戸時代といえば、鎖国のイメージが強いですが、徳川家康は東南アジアと朱印船貿易を進めました。
アジア各地には日本町もできたほどです。

しかし、「神に従うキリスト教は支配の妨げになるのでは・・・」と考えた幕府は、踏絵でキリスト教徒を取り締まりました。
もちろん、島原の乱などの一揆で農民は抵抗しますが、幕府は「仏教徒になれ!」という寺請制度を始めます。

ついに、1639年鎖国が完成します。

鎖国の目的は、キリスト教の禁止と幕府による貿易の独占です。
これによって、貿易はオランダと清だけに限られました。

おさえるべきポイント

上・徳川家光

鎖国が完成したのは、家光の代です。

また、オランダの商館を長崎の出島に移したことはポイントです。

島原の乱が、キリシタンへの迫害と悪政に対する目的であることもおさえておきましょう。島原(長崎県)と天草(熊本県)で起こりました。

文治政治

学ぶ内容

3代家光までは、武力による政治でしたが、学問や思想の力による文治政治が盛んになりました。

上・徳川綱吉

5代綱吉朱子学をすすめ、生類憐みの令を出しました。

上・新井白石

新井白石の政治(正徳の治)は、貨幣の質を高めたり、貿易を制限して金銀の流出を防いだり、というものです。

しかし、貨幣経済の発達でお金を多く使うようになり、幕府や藩の財政は窮乏しました。

上・徳川吉宗

8代吉宗による享保の改革では、裁判用の公事方御定書を定め、目安箱を設置しました。
上げ米の制を定め、新田開発に力を注いだことから、「米将軍」と呼ばれました。

米将軍吉宗は財政の好転に成功しますが、農民は重い年貢に反発しました。

上・田沼意次

田沼意次は、株仲間を増やし、新田開発を進めました。

上・松平定信

松平定信は1787年寛政の改革で、朱子学以外の学問を禁じ、株仲間を一部廃止し、諸藩に米を蓄えさせる囲い米の制を行いました。旗本・御家人のために借金帳消しの棄捐令(きえんれい)を出しました。

おさえるべきポイント

白河の清きに魚のすみかねてもとのにごりの田沼恋しき

これは、「松平定信(元白河藩主)の政治が厳しいので意次の田沼時代を恋しいと」いう狂歌です。

松平定信が質素倹約を命じ、朱子学以外の学問を禁止(寛政異学の禁)したことをおさえておきましょう。

重要な人物ー本居宣長ー

上・本居宣長

「古事記伝」を著した宣長は、儒教や仏教を認めず、日本独自の思想の重要性を説いた国学者です。
幕府の学問の他にも、幕府を批判するような学問が生まれたことに注目しましょう。

これは、天皇を尊び外国は認めない尊王攘夷(そんのうじょうい)という運動につながりました。

注意すべきポイント

8代吉宗享保の改革と松平定信の寛政の改革は「よし今日、待つ完成を」と覚えましょう。

また、士農工商の時代には百姓が84%を占め、武士はたった7%しかいなかったことに注目しましょう。

おわりに

江戸時代の政策は色々あって覚えるのが大変ですね。

それぞれの政策について大まかに知っておくと素敵です。

ぜひ、ご参考にしてください。

(photo by PD)
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