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中学社会「世界恐慌と満州事変」分野を学ぶポイント

世界恐慌は1929年にアメリカの突然の株暴落から世界中が不景気になった事を言います。

日本ではその前の1927年にすでに金融恐慌がおこり、会社や銀行の倒産や閉鎖がおきていました。この頃、アメリカは空前の大繁栄で「世界最高の生活水準」と言われていました。

満州事変は1931年に中国の東北部に日本軍が進行して南満州鉄道の一部を爆破し、これを中国の仕業とした事件の事を言います。

今回はこれら世界恐慌と満州事変について、学ぶポイントを紹介します。

ポイント1:世界恐慌とは

世界恐慌の原因

1929年、空前の繁栄をとげていたアメリカの株価は上昇を続けていましたが、同年10月24日に株価は突然大暴落しました。このため物価は下がり生産も低下し、多くの失業者を生むことなります。

この恐慌は1932~1933年がどん底で所得の減少、企業の破産、銀行の閉鎖などが続き世界中が巻き込まれて世界恐慌となりました。

ポイント2:大恐慌の対策

ニューディール政策とは

アメリカ民主党議員のフランクリン・D・ルーズベルトは、この大恐慌の対策として「ニューディール政策」をかかげ、第32代アメリカ合衆国大統領に当選、就任しました。

(1)景気回復として政府の資金を低金利で民間に貸し出し、財政危機の産業を援助、輸出にも力を入れ労働者を活気づけました。

(2)農業の再建(生産の制限で値崩れ防止。政府による農作物の買取、価格の調整)、公共事業の促進(TVA/テネシー川流域開発公社の設立など)を計り、失業者をなくしました。

こうした政策は政府による強い管理があるため、銀行や企業からは社会主義ではないかとの危惧もあったようですが、景気回復により国民に支持され長期政権となりました。

参考:アメリカ映画「怒りの葡萄」を観てみると、この時代背景を感じることができるかと思います。

ポイント3:満州事変

満州事変とは

1931年(昭和6年)、中国の東北部(満州)に進行した日本軍は南満州鉄道の一部を爆破し、中国軍の仕業として中国軍を満州から追い出して満州を占領しました。この事件を満州事変と言います。

満州事変から第2次世界大戦へ

満州事変によって日本は満州を独立させましたが、中国は国際連盟に鉄道爆破を提訴し国際連盟から調査団(リットン調査団)が派遣されました。

国際連盟は日本の満州国独立を認めず、日本はこれにより国際連盟から脱退する事となります。

その後、中国からのロビー活動でアメリカは日本への経済制裁を実行し、それに対抗すべく日本はハワイ真珠湾攻撃を仕掛け、アメリカとの戦争状態へと進む事になります。

おわりに

好景気で繁栄していたアメリカが突然の株価暴落で一気に大恐慌へ転落し、その余波は世界中を巻き込みました。

ルーズベルト大統領のニューディール政策はかなり斬新だったようで、思い切った政策の数々は成功し効果をあげました。いつの時代でもピンチの時には強いリーダーシップが求められる事が分かります。

日本は不景気から財閥による経済支配が強くなり、軍部と連携してアジアへの侵略へと進みました。

やがて中国の東北部を占領し、満州国として日本人が数多く移り住む事となりますが、日本が敗戦すると満州から命がけで逃げ出す事となります。

戦後、日本はこれを教訓として憲法に侵略行為を禁止する項目を入れました。

(image by 筆者)

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