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明治時代「自由民権運動と憲法制定」のおさえるべきポイント

今回は、明治時代に起きた「自由民権運動と憲法制定」について解説します。

自由民権運動のおさえるべきポイント

まず、「民撰議院設立建白書」とはなにかを覚えましょう。

「民撰議院設立建白書」は、1874年(明治7年)1月17日に政府の左院に提出されました。この建白書の要求は「民間人の投票による国会を設立してほしい」という要求です。

「左院」とは、明治初期の立法機関のことです。1875年に廃止されました。

提出した背景

1873年6月、板垣退助が「征韓論」を主張しましたが、慎重論に敗れて、西郷隆盛と一緒に下野しました。

「征韓論」とは、明治初期において、西郷隆盛・板垣退助・江藤新平・後藤象二郎らによって言われた、武力をもって朝鮮を開国しようとする主張のことです。これの対を、慎重論と言います。

下野した板垣退助は、後藤象二郎らと「愛国公党」を結成し、「民選議院設立建白書」を政府左院に提出。その後、高知県に「立志社」を作りました。

その結果

「民選議院設立建白書」を提出してから6年後「国会」が設立されました。

しかし、選挙権は直接国税15円以上納税の満25歳以上の男性しか持っておらず、依然として不平等が続いていました。

自由民権運動のはじまり

これを契機に始まった運動を「自由民権運動」といいます。自由民権運動は、国会が設立される1890年まで続きました。

自由民権運動の要求

  • 憲法の制定
  • 議会の開設
  • 地租の軽減
  • 不平等条約の阻止
  • 言論の自由や集会の自由の保障 など

重要な人物

  • 板垣退助:民選議院設立建白書の提出を行った
  • 後藤象二郎:愛国公党を共同設立した

大日本帝国憲法のおさえるべきポイント

大日本帝国憲法とは?

「大日本帝国憲法」は、1889年2月11日に公布、1890年11月29日に施行された、近代立憲主義に基づく日本の憲法です。

この憲法が施行される前、1881年に「国会開設の勅論」が発布され、国会開設が約束されたとともに、この憲法の制定が決まりました。

作った人

この憲法の草案を作ったのが、初代内閣総理大臣である伊藤博文です。

特徴

この憲法は欽定憲法と言われ、モデルはドイツの「プロシア」となっているため、プロシア憲法ともいわれます。

廃止

1947年5月2日、第二次世界大戦での敗戦とともにこの憲法は廃止され、現在の「日本国憲法」へ切り替わりました。

おわりに

いかがでしたか?重要なのでぜひ覚えてくださいね!

(photo by 足成)

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