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高校古文「方丈記」読解のポイント

ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。

この屈指の名文とも言われる一文で始まる「方丈記」は、鎌倉時代を代表する仏教の無常観を基本に置いた隠者文学などと教わったのではないでしょうか。

「でも、無常観なんて言われてもわからないし、堅苦しくて嫌い」という感想をもつ高校生も多いようです。しかし、「すみか」へのこだわりというちょっと違った視点からこの作品を眺めてみましょう。

作者「鴨長明」について

下賀茂神社の神官の息子

下賀茂神社の神官・鴨長継の次男として生まれ、7歳のときに貴族の位・従五位下を賜ります。しかし、その後出世はしなかったようです。18歳くらいで父を亡くしてから30歳くらいまでの間、今で言うニートのような生活をしていたのではないかと思われます。仕事の記録がありません。

和歌と楽器だけが友だち

30代半ばで勅撰和歌集である「千載和歌集」に入集し、歌人としての評価も高まり、以後多くの歌合せにも参加します。「新古今和歌集」の撰者・藤原定家を相手に四戦無敗だったとも言われています。

また、琵琶も師匠から「秘曲」を伝授されるような腕前でした。しかし、和歌の師匠からも心配されるほど世渡りが下手だったようです。就活が上手くいきません。

勅撰和歌集とは天皇や上皇の命令によって編纂される和歌集のこと。これに和歌が採録されることを入集(にっしゅう)と言います。勅撰集に入集することは当然のことながら名誉なことです。

出家のきっかけ

和歌好きの後鳥羽院に気に入られ、和歌所の寄人に抜擢され、さらに院のはからいで下賀茂神社の付属の神社である河合神社の神官になる機会を得ますが、親族の妨害により断念。就活が失敗します。これが出家の原因と言われています。50歳のころに大原に隠棲、のちに日野に移ります。

和歌所(わかどころ)とは勅撰和歌集の撰定をする役所。そこで働く職員が寄人(よりうど)です。

おおまかな内容

激動の時代を生きる

「方丈記」には、平安末期の安元の大火治承の辻風養和の大飢饉元暦の大地震という自然災害に関する記述がかなりリアルに記されています。それに対してこの時代を代表する「源平の戦い」に関する事柄は、平氏が主導した福原遷都しか記述がありません。

実は住居論

養和の大飢饉をのぞく3つの災厄、人災とも言える福原遷都には共通して人間の住居について記述されています。序段の内容を思い出してみてください。「世中にある人とすみかと、またかくのごとし」と書かれており、語りたかったのは水のことでも泡のことでもなく、住居についてだったのです。

人間だけでなく、住居もいつかは変わり果て消え行くものなのだから、豪華な住居を競うことなど意味がない。

これが、前半に一貫して書かれている内容と言えます。

こだわりの住居「方丈の庵」

「人間が住むには豪華な家など要らない。これだけのスペースがあれば十分だ」という長明の理想を形にしたのが、日野に移ってから結ばれた「方丈の庵」です。

方丈は約3メートル四方の広さで四畳半程度、その中に生活に必要なものがコンパクトにまとめられています。組み立て式で移動も可能、牛車2台で運べると書いてあるので、1回は移動したものと考えられます。

「方丈の庵」での生活

ここでの仏道修行や和歌・音楽に浸る生活について語られているのが後半の主な内容です。ここで書かれたのが「方丈記」です。歌論書「無名抄」や仏教説話『発心集』もここで書かれたものです。

文体

和漢混交文

漢文の訓読調の和漢混交文で、対句表現が多用されたリズミカルな文章です。音読をお勧めします。

リアルな描写

的確な比喩表現によってリアルに災害を描写しています。

読解のポイント

ジャンルは随筆

随筆とは「作者が書きたいことを思うがままに書いた」文章です。作者・鴨長明が語りたかったことは何なのかを意識して読みましょう。キーワードは、ずばり「すみか」だと思います。

平安から鎌倉へ

変化する時代に翻弄され、出家に至った鴨長明の人生を考慮せずにこの文章は理解できません。必要であれば歴史の資料集を使って、長明の生きた時代を調べてみましょう。

おわりに

筆者は高校時代、「出家とはすべてを捨て去ることだ」と教わりました。ところがこの長明、自分が愛した和歌や音楽にこだわり、何より自分の住居『方丈の庵』にこだわっています。「出家者なのに矛盾してないのかな?」その人間くささに、高校生だった筆者は好感を持ちました。

あなたも「人間・鴨長明」の人生に触れる旅に出てみませんか?

(image by amanaimages)

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