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物語への憧れ…高校古文「更級日記」読解のポイント

「あの頃は、物語に憧れる文学少女だった…」

そんな回想から始まる、作者の自叙伝的な作品が『更級日記』です。少女時代から40年余りにわたって、作者の人生が和歌を交えながら回想的に綴られています。

「源氏物語」オタクだった少女時代が描かれる前半は「今でもこんな人いるよね」と親しみを覚える人もいるのではないでしょうか。

作者について

菅原孝標女

作者は菅原孝標女(すがわらたかすえのむすめ)で、本名はわかっていません。清少納言や紫式部のように女房名も伝わっていないので、父の名をとって、「菅原孝標女」と呼ばれています。

父・菅原孝標は、あの菅原道真の子孫で菅原氏は代々学者の血筋、母方の伯母(母の異母姉)には「蜻蛉日記」の作者・藤原道綱母がいるなど、家系と環境に恵まれ、幼いころから文学を愛好します。

藤原道綱母(ふじわらのみちつなのはは)の夫は藤原兼家で藤原兼家妻と記載されることもあります。息子の道綱は道長の異母兄で、側室の子ながら大納言まで昇進しました。

物語の作者かもしれない

物語大好き少女が成長して物語を書いたとしてもおかしくはありません。「夜の寝覚」と「浜松中納言物語」は孝標女が書いたのではないかと言われています。

おおまかな内容

少女時代

「田舎者がどうしたことか物語に興味をもった」と書き出されています。作者が10歳のときに、父・孝標は今でいう千葉県知事として赴任します。父について行った作者は13歳までここで暮らしますが、京都で生まれ育っているわけですから田舎育ちというのは正確ではありません。

「千葉は田舎なの?」千葉県民に怒られそうですが、この当時、京都以外はすべて地方=田舎だと思ってください。

書物はすべて手書きなので、地方ではなかなか入手できません。活版印刷などありませんから、人力コピーということになります。

物語に興味をもったのは、継母の上総大輔の影響のようです。この継母は歌人としても名が残り、宮仕えをしていた教養人です。『落窪物語』のように継子いじめはしません。作者との仲は円満でした。

『落窪物語』は『源氏物語』以前に書かれた物語のひとつで、作者は未詳です。内容は、継母が継子をいじめる『シンデレラ』のようなお話です。

帰京後は物語三昧

悲しいことがいろいろあって塞ぎ込んでいたとき、叔母からプレゼントされたのが源氏物語。神様・仏様と拝んでまで読みたかった源氏物語を全巻コンプリート!その感想は「后の位と『源氏』なら断然『源氏』!」だそうです。

部屋にこもって昼も夜も読みふけります。「私も適齢期になれば、『浮舟の女君』のように貴公子たちが取り合いになるような女性になれる」などと妄想モード全開です。「あの頃は、夢見る少女だった…」苦笑しながら回想する作者が目に浮かびます。

「浮舟」は光源氏亡き後の主人公である薫と匂宮の両方に愛されるヒロインです。

夢見る少女じゃいられない

17歳のときに、姉が幼子を残して他界。相変わらず「光源氏のような人に愛されたい」などという願望はあるものの、家事全般を任され現実を思い知らされます。33歳で橘俊通と結婚しますが、相手は「光源氏」のような人であるわけもなく幻滅します。

しかし、40代ではすっかり現実的になり、死別するまで夫婦仲は良好だったと思われます。

姨捨の日記?

夫の死後、寂しい生活をしているところへ甥が訪ねてきた時に、

月もいでで 闇にくれたる姨捨に 何とて今宵 訪ね来つらむ

という和歌を詠みます。これは、

わが心 慰めかねつ 更級や 姨捨山に 照る月を見て

という和歌をふまえて詠んだものです。姨捨山は長野県千曲市にある冠着山のことで、昔から月の名所として知られています。自分を姨捨伝説の老女になぞらえ「姨捨の日記」とでもするところを、それでは露骨すぎるので姨捨山のある更級の名を取って「更級日記」としたという説があります。

更級は亡き夫・俊通の最後の任地、信濃国の歌枕でもあります。

文体

わかりやすい文章と88首の和歌で綴られた和文体です。

読解のポイント

少女時代の憧れの対象が「源氏物語」なので、「源氏物語」の登場人物がわからないと面白さも半減してしまうかもしれません。文中に出てくる登場人物くらいは調べることをお勧めします。

おわりに

400字詰め原稿用紙に換算すると90枚程度の小品です。教科書に載っている作品の中では読みやすい方の作品だと思いますので、興味のある人は全文を読んでみましょう。

(image by amanaimages)

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