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『大和物語』読解のポイント

和歌は平安貴族にとっては必須の教養でした。和歌は異性に自分の気持ちを伝える手段でもありました。そんな和歌とその背景にある興味深いエピソードとを物語化したものが「歌物語」です。ここではその一つ「大和物語」を、作中の一編とともにご紹介しましょう。

歌物語の背景

平安時代初期、「歌語り」が貴族の間で流行しました。「歌語り」とは、和歌を、その由来などとともに人前で語ることです。一説によると、それが発展して、和歌を中心とした物語である「歌物語」が誕生したということです。

最初の歌物語は、おそらく10世紀初頭に原形ができた「伊勢物語」です。それに「大和物語」や「平中物語」が続きます。そこには歌を詠むに至った心情や詠み手たちの日常生活が描かれました。

歌物語が作られたのは10世紀のみでしたが、その叙情性や写実性は「源氏物語」などに受け継がれていきました。

「大和物語」について

成立時期は、10世紀中ごろと推定されます。作者は、諸説あるものの、確定していません。作中の登場人物から、宇多天皇に関わりのある人物ではないかと考えられています。

173段に分かれ、前半140段は「大和物語」成立に近い時期に詠まれた歌について貴人たちが語る話です。後半は伝説に取材した、歌にまつわる説話が中心となっています。「伊勢物語」の在原業平のような全体を統一する主人公は存在しません。

「伊勢物語」の影響を受けていますが、「伊勢物語」ほどの豊かな叙情性はなく、文学的な価値は及ばないようです。

例文

桃園の兵部卿の宮うせたまひて、御はて九月つごもりにしたまひけるに、としこ、かの宮の北の方に奉りける。

おほかたの秋のはてだに悲しきに今日はいかでか君くらすらむ

かぎりなく悲しと思ひて泣きゐたまへりけるに、かくいへりければ、

あらばこそはじめもはてもおもほえめ今日にもあはで消えにしものを

となむ、返ししたまひける。

解釈

桃園の兵部卿の宮がお亡くなりになって、一周忌の御仏事を九月末になさったとき、としこが、宮の北の方に奉った歌。

ふつうの秋の終わりでさえ悲しいものなのに、今日はどのようにあなた様はお過ごしでしょうか

(北の方が)限りなく悲しく思ってお泣きになっていたときに、(としこが)このように言って寄越したので、

(夫が)生きていればこそ、秋の初めも終わりも分かるのでしょうが(それも分からずに茫然としています)、今日という日に逢うこともなく亡くなってしまったのですものね

と返歌をなさったのだった。

  • 桃園の兵部卿の宮:克明親王。醍醐天皇の皇子。
  • はて:一周忌の仏事。
  • つごもり:月の下旬、最終日。
  • としこ:藤原千兼(ちかね)の妻。
  • 北の方:貴人の妻の敬称。ここでは藤原時平の娘。
  • 奉り→奉る:差し上げる。謙譲語。
  • いかでか:どのように。
  • おほかた:一般に、ふつう。
  • あらば:もし夫が生きていれば。
  • おもほえ→おもほゆ:(自然に)思われる。
  • あは:「で」は打ち消しの接続助詞。
太字は重要語です。

鑑賞

亡き夫への思いと、それを察する「としこ」の優しい気持ちが伝わってきて、予備知識などなくても十分共感できる内容です。今も昔も変わらぬ人の心が描かれています。ただ、返歌の省略された部分を補うには、相当の想像力が必要でしょうが…。また、当時、和歌は貴族の交際には不可欠のたしなみだったことがよく分かります。

読解のポイント

「大和物語」は歌物語なので、枕詞や掛詞といった和歌の技法はしっかり理解しておきましょう。

貴族社会が主な舞台ですので、人間関係を表す敬語についても勉強しておきましょう。例文では、「としこ」には「奉る」という謙譲語が使われていますが、北の方には「たまふ」という尊敬語が使われています。

貴族の生活についても知っていた方が有利です。例文の「はて」は重要語で、一周忌の仏事という意味を知っていれば、読解の大きな助けになります。

おわりに

歌物語にはもちろん和歌がなくてはなりません。和歌の理解はなかなか大変ですし、歌物語の出題は決して少なくありませんから、知識があやふやな人は整理しておきましょう。

(image by 足成)

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