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高校日本史B「古代国家の形成(古墳時代〜飛鳥時代)」の学び方

高校日本史B「原始・古代の日本と東アジア:古代国家の形成(古墳時代~飛鳥時代)」分野の学ぶポイントを紹介します。

ヤマト(大和)政権の成立

それまで小国の集まりだった日本は4世紀ごろ、畿内の豪族たちによって統一され、大和政権が誕生したと言われています。この時期には古墳が盛んにつくられ、奈良の箸墓古墳、大阪の大仙古墳が有名です。

統一国家への道

「神代の時代」から、中国の史書に記述が残り実在が推察される時代(413年~478年)へと移り変わっていきます。

古代の日本について初めての記述は、紀元前後ごろの『「漢書」地理志』に「100余りの国があった」と言うものです。卑弥呼がおさめる邪馬台国は3世紀ごろに書かれたとされる魏志倭人伝』に詳しく書かれていました。

中国の史書と日本の歴史書の記述で初めて合致するのが「倭の五王」と呼ばれる存在です。それぞれ「讃=仁徳」「珍=反正」「済=允恭」「興=安康」「武=雄略」ではないかと言われています。この時代日本にはまだ文字がなく、日本独自の記録は残っていませんが、畿内~瀬戸内にかけて同じような方法で古墳がつくられていたことをみると、この地域で連合が結ばれたのではないかと考えられています。

538年に仏教が伝来し、大和政権は仏教を公認しました。仏教は当時の最先端で、朝鮮諸国は仏教を取り入れて中央集権へと変革していました。進んだ文化や技術を取り入れると同時に、天皇を中心とする中央集権システムも取り入れることとなったのです。

聖徳太子と呼ばれる人物は、有力豪族の崇仏派の蘇我氏とともに仏教を擁護、廃仏派の物部氏と争い、587年に物部氏を滅ぼしました。

聖徳太子はエピソードが豊富でよく知られています。中でも小野妹子を遣隋使として送ったとき「日出處天子致書日沒處天子無恙云云(日が昇る国の天子が日の沈む国の天子に手紙を出します。ご機嫌いかがですか)」という内容の手紙を送り、隋の煬帝を怒らせたと言う話は有名です。

その後力を持ちすぎた蘇我氏に対し、中大兄皇子や中臣鎌足らが645年に乙巳の変(大化の改新)と呼ばれるクーデターを起こし、蘇我氏は滅亡します。

律令国家の形成

クーデターの後、中大兄皇子は皇太子になり、叔父の孝徳天皇が即位して難波へ遷都をしました。

新しい都で646年「改新の詔」を発表し、すべての土地と人民は国家のものとする「公地公民制」を敷きました。それまでは豪族たちが持っていた土地をすべて国家のものにする「中央集権制」は律令国家への一歩と言えます。

それまで「氏姓制度(朝廷から政権内の地位をもらう)」だったものを「律令制(法律によって政治がおこなわれる)」へと切り替えていきました。

中大兄皇子はその後即位して668年天智天皇となります。天智天皇は息子の大友皇子に後を継がせようとしていましたが、これに反発した天智天皇の弟が天智天皇病没後の672年に壬申の乱を起こし、天武天皇として飛鳥で即位し、中央集権制度を確立していきました。

飛鳥文化と白鳳文化

飛鳥文化は推古天皇の時代を中心に、538年~645年ごろ栄えた仏教文化です。この時代に立てられた法隆寺は日本最古の木造建築物として有名です。仏像では中宮寺の半跏思惟像、工芸品では天寿国繍帳、玉虫厨子など、渡来人が技術を伝えたと考えられています。また、どのように使用されていたのかは不明ながら飛鳥の石仏群(亀石、酒船石など)があります。

白鳳文化は天武・持統天皇の時期を中心に、645年~710年ごろ栄えた唐風の華やかな貴族文化です。このころの文化を表すものとして、女性群が鮮やかに描かれた壁画で有名な高松塚古墳や、天武天皇発願の薬師寺が挙げられます。

また、この時代は『万葉集』を代表する歌人「額田王」「柿本人麻呂」が活躍した時代です。『万葉集』には身分を問わず様々な人々の歌が記されています。

(image by 筆者)

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