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高校「日本史B」『中世の日本と東アジア:中世国家の形成(鎌倉時代)』の学び方

初の武家政権がスタートした鎌倉時代は、中世的な暗闇を抱えて模索する時代でした。この時代についての学習方法についてご紹介します。

鎌倉幕府の成立

承久の乱:鎌倉幕府が朝廷を抑える

源実朝の急死後、次期将軍を朝廷から迎えようとする鎌倉幕府と、後鳥羽上皇との対立が悪化しました。

朝廷方は、強硬路線だった執権の北条義時の排除を企てましたが、結果は鎌倉方の圧勝で、朝廷勢力は抑えられ、執権政治が確固たるものとなりました。

吾妻鏡:鎌倉幕府の半公式記録として編纂されました。

執権政治の展開

執権政治:北条氏による独裁政権

執権政治は、北条時政が源実朝を3代将軍として擁立した際、政所別当と合せて初代執権に任じられたのが始まりです。

2代執権の北条義時が侍所別当を兼任してからは、事実上の幕府最高職となりました。源実朝を最後に源氏将軍が途絶えてからは、執権が幕府の実権を掌握するようになり、この体制が執権政治と呼ばれています。

別当:鎌倉幕府の行政機関である政所・侍所などの長官です。

執権政治:執権政治おける政策

代々の執権の中で優秀だったのは、3代執権の北条泰時でしょう。人格者としても有名です。評定衆・連署を設置して合議制により執政を行いました。

5代執権の北条時頼は、評定衆の下に引付衆を設置して裁判制度を充実させました。

御成敗式目北条泰時により、鎌倉幕府の基本法として制定されましたが、江戸幕府が武家諸法度を制定するまで、武家法の基本として機能し続けました。

守護・地頭:御家人の職務権限

後白河法皇が、源頼朝に守護・地頭の設置と任免権を認めたことが始まりで、幕府の職制に組み込まれました。

諸国ごとに設置される守護は、謀反人の殺害や国内の御家人の統率等が、役割とされています。

荘園ごとに設置される地頭は、年貢の徴収や土地管理等が、役割とされています。

北条氏の専横:鎌倉時代中期以降、北条氏一門による守護職の独占化が進んだことで、他の御家人が不満をもたらすようにようになりました。これが鎌倉幕府滅亡の遠因になったと考えられています。

元寇と鎌倉幕府の衰退

元寇:二度の蒙古襲来

鎌倉時代中期、当時中国大陸を支配していたモンゴル帝国および、その服属政権となった高麗王国から二度にわたる侵略を受けました。

主として九州北部が戦場となり、執権・北条時宗の総指揮の下、蒙古軍を撤退させました。

一度目の元寇を文永の役、二度目を弘安の役といいます。

徳政令:御家人の疲弊に対処

鎌倉幕府は、石築地の建設や輪番制の異国警固番役の設置など、博多湾の防備を強化しました。しかし、この元寇の戦いで日本側が物質的に得たものは無く、恩賞を巡って御家人の不満が増大しました。

戦費で窮迫した御家人は借金に苦しみ、救済策として徳政令が発布されましたが、御家人の不満は解消されませんでした。

一方、新興階層である悪党が躍進して、御家人にも鎌倉幕府に不信感を募らせるものが増えました。

悪党:鎌倉時代中期以降、本所とされる荘園領主側から見て、所領紛争等の対立関係にあった荘官・在地領主層の総称です。楠木正成も正統派の悪党でした。

鎌倉幕府の滅亡

後醍醐天皇の倒幕計画:計画の発覚・失敗

即位した後醍醐天皇は、天皇中心の政治体制の再構築を企てました。企ては一度ならず発覚し、側近だった公家の処罰のみならず、自身も隠岐島へ流刑されました。

武士たちの挙兵:悪党と有力御家人が呼応する

後醍醐天皇の倒幕失敗を契機に、もともと北条氏の専横に不満を持っていた楠木正成赤松円心などの悪党が各地で挙兵しました。

彼ら反幕府勢力を討伐するために、京都へ派遣された有力御家人の足利尊氏が、一転して後醍醐天皇方に味方しました。一方、新田義貞が上野国で挙兵し、これに呼応した関東の御家人たちと鎌倉を攻略した結果、鎌倉幕府と北条氏は滅亡しました。

京都へ帰還した後醍醐天皇が、建武の親政を開始することとなりました。

鎌倉文化

鎌倉新仏教:厳しい戒律・学問・寄進は不要

保元の乱・平治の乱から治承・寿永の乱と戦乱の時代が続き、厭世的な末法思想が強まる中で、鎌倉新仏教は、魂の救済を求める武士や農民に応じて成立した仏教宗派です。

新仏教宗派の始祖は、すべて天台宗に学んだ経験を持ちます。浄土宗浄土真宗時宗日蓮宗は旧仏教から生まれ、臨済宗曹洞宗は中国から新たに輸入されたもので、朱子学をもたらしたのも彼ら禅僧でした。

仏教美術:寺院改修・仏像彫刻

平氏による宗教勢力鎮圧の際、焼失した東大寺・興福寺が再建されました。

東大寺南大門東大寺開山堂興福寺北円堂などの寺院再建に伴ない、仏像の復興が京都仏師・奈良仏師の手で執り行なわれました。それまでは一段下に見られていた運慶快慶などの奈良仏師が実力を認められ、鎌倉幕府お気に入りの仏師となります。

鎌倉時代の学び方

歴史上キーとなる出来事・人物・事物を、時代背景との関連付けで一括りにしてみましょう。そうなった必然性がわかると、鎌倉時代の歴史が面白くなってくると思います。

おわりに

西暦12世紀末から西暦14世紀前半までの中世日本は、公家・武家・民衆が、混沌とした時代を変容させ続けました。鎌倉幕府滅亡後、内部抗争の時代が長く続いて行きました。

(image by 足成)

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