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茶の湯イノベーション:横浜のとあるマンションの一室で伝統文化「茶の湯」に変革が起きている

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「茶道」というと何を思い浮かべるだろうか。古典的な日本家屋?静謐な日本庭園?掛け軸と茶花?着物姿の日本女性? 茶道家、松村宗亮の茶室は、私たちの先入観をくつがえす。

茶室は神奈川県横浜市のマンションの一室に設けられ、茶室の名はSHUHALLYとアルファベット、室内のあちこちにモダンアートが置かれている。TEDxTokyoに登壇したときには、松村はラッパーと共演するという離れ業を演じた。だが松村は言う。

「僕は古典も大好きで基本は崩していない。新しいやり方で、人と人が心を寄せ合う楽しみを創り出したい」と。

400年以上前から伝わる日本文化

茶道が純粋に日本的な芸事であることに疑う余地はない。茶を入れて客をもてなすという行為に、哲学的、美学的、コミュニケーション的な意味合いを与えたのは、世界でも日本だけである。中国には茶芸が、韓国には茶礼があるが、いずれも儀礼的なものだ。

禅宗の僧侶によって抹茶が中国から日本に伝わったのは鎌倉時代。その後の室町時代になると、社交の一つのあり方として茶の湯(茶道)が始まった。武家のたしなみの一つとなった茶は、大名にも親しまれる文化として広がり、発展した。

安土桃山時代に千利休が一つの完成形を作ったが、その後も発展し続け、数多くの流派が生まれた。このように茶道は、もともとは男性の文化の一つであったが、明治時代に入ると、若い女性(結婚前の女性)の習い事の一つとしての嗜まれるようになった。

その影響は今日にまで至る。現在、日本の茶道には数々の流派があるが、主要な流派の指導者は世襲である。

そうした流派が全国に教室を持ち、その普及を担う。学ぶのは圧倒的に女性が多い。そこで学んだ受講生の中から一定の資格を得た者が、教室を開き、茶道を通じたサークルを形成し、次の世代を育成するという構造だ。一種の文化的なフランチャイズチェーンを作っているのである。

しかし松村は、そうした、従来のネットワークとはまったく違うところから出てきた茶道家である。松村はオーソドックスな茶道の学校で学んだが、茶道に親しむ環境に育った人ではない。茶道に引きつけられたきっかけは海外留学の体験からである。だからこそ、従来の茶道にはない斬新な発想を取り込むことができたのだろう。

ヨーロッパへの留学体験が、日本文化への意識につながった

松村宗亮は1975年、神奈川県横浜市の生まれ。港町である横浜は、日本で最も早く海外に門を開いた都市の一つで、外国人居住者も多く、オープンな気風で知られる。戦後はアメリカ文化の影響を強く受けた土地だ。

松村が育った横浜の元町や山手周辺には外国人が多く(近くには日本最大の中華街もある)、松村自身、外国人の友人も数多くいたため、幼い頃から海外への憧れを抱いていたと振り返る。

中学生の頃から哲学に引かれた松村は、長じて日本大学の文学部哲学科で学ぶ。哲学を学んだことでフランスに魅力を感じ、大学を1年間休学、フランスに渡ってフランス語やフランス文化を学び、またバックパッカーとしてヨーロッパを放浪した。

「そこで初めて僕は日本を意識しました。パリで小津安二郎監督の作品を上映している映画館に行ったり、自分には知識のなかった禅について外国人に尋ねられたり、マンガから日本語を覚えているフランス人がいたりと、日本を意識させられることがしばしばあったのです」

フランス滞在中には、ベネチア映画祭で北野武監督が映画「HANA-BI」でグランプリ(金獅子賞)を受賞し、話題になっていた。

日本にいるとき、松村にとって日本は空気のようなもので、ことさらに意識するものではなかった。しかしヨーロッバでの異文化体験を通じて日本を意識した。「日本とは何か」を追求したくなった彼は、帰国後、書道、生け花、茶道など、さまざまな日本文化を学び、最終的に茶道にたどりついた。

「数多くの日本文化の中から茶道を選んだ理由は大きく二つあります。一つは総合性があり、テクニックではないこと。茶道は、生け花、書、陶芸、日本建築、和食などさまざまな要素を含み、かつ個別の作品の良し悪しには依存しません。もう一つは価値観や人生観のような形而上的なテーマと関係が深いことです」

繁華街の集合住宅の5階に創った斬新なデザインの茶室

茶道を教えることを意識したのは30歳を過ぎてからだ。松村は家族の会社を引き継ぐことになったのを機に茶道教室の経営を考えた。

「従来の茶道教室は、主婦が自宅で開いているケースが多く、ビジネスとしては未成熟でした。料金体系もあいまいだし、適正な利益が出ているのかどうかもよくわからない。しかも教える方たちはどんどん高齢化しています。だから若い人たちに向けて明確なメッセージを出せば、茶道教室はビジネスになるかも知れないと思いました。海外に行くまで日本文化に興味のなかった僕がおもしろいと思うくらいだから、潜在ニーズはかなりあるのではないかと思えたのです。そして僕が教えることで茶道がもっと広く親しまれるようになれば良いな、と」

松村にこうした発想ができたのは、先入観なく茶道を見ることができたことが大きい。商売を営む家族のDNAが働いたのではなかろうか。実利的ビジネスマインドと、形而上的価値を追う志向が、松村の中では矛盾なく同居している。

茶道教室の経営という目的が決まると、松村は3年間、京都の裏千家学園で一から茶道を学び直し、その後、教室を開いた。周囲からは無謀だと言われたが、「自分がやる茶道教室のイメージははっきりとあった」ため、そのイメージを形にしていった。茶道教室の名はSHUHALLY。名前からして既存の茶道のイメージからかけ離れている。これは師と弟子の関係を意味する「守・破・離」(師匠から受けた芸事や奥義を、守るところから始め、それを乗り越える過程を経て、最終的には両方を理解して自由になるという考え方)をアルファベット化した造語だ。

SHUHALLYは、JR関内駅から歩いて5分ほど、飲食店の多い町のマンションの5階にある。横浜球場にも近く、交通量の多い通りに面し、決して静かな環境ではない。ところが教室に入ると、和室の外に日本庭園が広がり、まさに静かで心の落ち着く昔ながらの空間が広がっていることに驚く。

茶道の基本を踏襲しながらも、モダンアートを取り込んだ試みが至る所にあり、茶器も伝統的な形ではないものが多い。

その一角にしつらえられた茶室「文彩庵」は、黒で統一され、LEDを組み込んだ畳が敷かれ、掛軸はグラフィティアートのような作品だ(文彩庵は日本で2010年のグッドデザイン賞を受賞した)。

教室のしくみもわかりやすく、カリキュラム、スケジュール、料金などを明確にし、ホームページで公開している。

前述したように、今、茶道に親しむ人は女性が圧倒的に多いが、SHUHALLYでは受講生の約3割が男性だ。

「茶は上品な世界というイメージがあります。でも戦国時代の武士や大名が親しんだ茶道は、殺し合いをしている相手と、刀でなく美意識で切り結ぶような、勝負事的なところがあったのではないでしょうか」と松村は言う。

いわゆる「わび茶」の完成者と言われる千利休も、最期は最高権力者、豊臣秀吉の逆鱗に触れて切腹した。当時の茶道家はそれだけぎりぎりのところで生きていたのである。

「千利休と同時代の人が感じていたことを現代で実現したらどうなるか、と考えています。その意味では千利休はライバルです。伝統はとても大切ですが、流派ごとに決まっていることを守るだけでは停滞ですよね。僕は新しい様式で、人と人が心を寄せていく楽しみを生み出していきたい。そのために最新の映像や音楽も使うのは自然なことでした」。茶器なども高価な骨董的なものより、同世代の作家の斬新な作品を使うのが松村の流儀だ。

松村の考え方から連想されるのは歌舞伎界における「スーパー歌舞伎」だ。伝統芸能として守りに入った歌舞伎を憂慮した三代目市川猿之助が、現代的演出を駆使した歌舞伎を創った。これがスーパー歌舞伎として、新しいファン層を開拓したのだ。

伝統的な世界で革新的なことをすると、当然、風当たりも強くなる。「お叱りをいただくこともありますが、伝統を無秩序に壊しているわけではないのです。僕は古典も大好きなんですよ」。実際、松村の茶道は、非常に新しく見えるが、点前の順序、食事のルール、道具を置く配置などは伝統に従っている。茶室のサイズなども伝統的なものと同じである。

「人間の身体の大きさは変わりません。だから道具、茶碗などのサイズも基本的に変えていません」

海外へも、人と人が近づく喜びを伝えたい

松村は今、年に一回は海外に行き、茶道を披露している。ベルギー、スペイン、フランス、ポーランド、アメリカなど、国によって反応が違うのが興味深いと言う。

松村は茶道を、海外の人に対しては大雑把に「日本で400年以上続いている総合芸術」だと説明することが多いが、それで十分とは考えていない。

「欧米には、プラトン以来の実用より純粋芸術の方が格上という意識がありますが、日本にそれはありません。茶道の茶碗の価値は高いですが、実際に手に取って使います。このように考え方の根本から違うので、日本的美意識のまま、“茶道は芸術”と言ってしまうと理解してもらえません。どうやって伝えたらよいかは今もいろいろと模索しています」

千利休が茶道の心得として表した言葉に「和敬清寂」がある。これは主人(亭主)と客の関係を表す言葉でもある。これを松村は、「和」はharmony、「敬」はrespect、「清」はcleanness、「寂」はstableと訳して外国の人に伝えている。

「欧米の人々にもぜひ抹茶を飲んでみてほしい。健康にも良いですしね。そして機会があったらぜひ茶道も経験してほしいですね。畳や着物がなくてもかまいません。人と人の距離が近づく喜びは人類共通の根源的なもの。暖炉を眺めながらコーヒーを飲む時間にも似たような感覚があるはずです。それを感じてもらうためにも、僕はもっとクリエイティブに、ダイナミックに茶道を広めていきたいと思っています」

(取材・文:Nobi Oda、写真:隼田大輔、元記事:IGNITION日本版
※本記事は2014年7月に取材・公開されたものです

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